古名屋の歴史

HISTORY古名屋の歴史

明治・大正・昭和・平成・令和と
5つの時代を歩んだ道のり

明治45年
降りしきる雪の中を一台の人力車が
甲府へと走り出した
明治45年、大正元年という年は、白瀬中将率いる南極探検隊が南極に日章旗を掲ぐというニュースで明けた。日本で最初のスキー競技会が新潟で開かれ、日本初のタクシー営業が開始されたのもこの年。甲府「古名屋旅館」創業者・伴野かめよは38歳。鰍沢の街で二度の大水害に遭い、家業の宿屋「粉屋」の経営に危機感を抱いてかめよは甲府への進出を決意する。時代は富士川舟運から中央線の前線開通に伴い、宿場町として栄えた鰍沢から甲府へと山梨の発展は変わりつつあった。
1912年冬、かめよと末娘マキ子を乗せた人力車は、祈りからの雪の中を甲府に発った。甲府の町で何が始まるのか、どんな生活が待っているのか全く分からなかった。不安ばかりが全身をおし包み「こんな心細いことは今までありませんでした」と後年マキ子がよく家の者に語ったという。
「粉屋」の屋号の由来には現在でも諸説はあるが、かめよの亡夫・和三郎の生家が米屋だったからというのが有力となっているが、定かではないとのことである。
昭和20年
一面焼け野原。
解放された温泉は市民の憩いの場だった。
かめよは昭和14年、65歳で亡くなっている。彼女は古名屋の経営を軌道にのせ、蓄財を慈善事業へ注ぎ、歌舞伎見物を唯一の娯楽とした。病没の翌々年、帝国海軍はハワイ真珠湾を攻撃、第二次世界大戦がはじまった。昭和20年、戦局が劣勢となる中、甲府盆地は南太平洋から富士山を目印に飛来するアメリカ軍機のルート上にあった。
7月6日午後11時23分空襲警報発令。町は138機編成のB29爆撃機の大規模空襲を受け、市街地の74%が灰燼と帰した。「たなばた空襲」とも呼ばれるこの奇禍には太宰治も逢っており、故郷の青森へ再疎開している。古名屋もまた全館を焼失した。一面焼け野原となった甲府の町。
被害戸数が18,094戸。県庁舎と甲府会館、岡島百貨店は焼け残ったが、他は見渡す限りの廃墟となった。そんな中で古名屋は敷地内の温泉を一般市民に開放して暫しの憩いの場を提供する。そればやがて目覚ましい復興を遂げる甲府の転機となったことは想像にかたくない。
昭和48年
時代の変化に適応した
先見の思想
そしてグローバルな視点へ
昭和48年、古名屋は旅館からホテルへ転身する。
最初の案は3階建てだったが、四代目社長の完は「夢がない」と気に入らず、東急ホテルチェーンの協力を得て、地上8階、洋食や中華レストラン、洋宴会場を付帯した甲府で初めてのシティーホテルを完成させた。
平成17年には 五代目社長公亮により、ブライダル専門部門として甲府市小瀬けやき通りに南フランスのリゾートをイメージしたゲストハウスウェディング会場「オルテルリー・ド・コートダジュール」を開業。
平成22年、古名屋も「オリエンタルモダン」をテーマに、各所を改装。日本とアジアが融合された「都会の隠れ家」として訪れるゲストに癒しの空間を提供している。
平成24年、「パティスリー和三郎」開業。
古名屋創業者、伴野かめよの夫「和三郎」が地粉の商としていたところから由来した屋号。
平成25年、甲府市北口のワイナリー「サドヤ」を古名屋グループの傘下に入れる。
敷地内に婚礼施設「シャトー・ド・プロヴァンス」とレストラン「レアル・ドール」も増設し、古名屋のさらなる躍進に繋がっていった。
古名屋が目指した「もてなしの心」はこうした時代の変化に適応した「先見の思想」に、そして近年は「グローバルな視点」での空間の提供である。しかし時代が変わっても感謝の気持ちを大切にし、お客さまと社員、地域と共に歩む思想はこれからも変わらないであろう。

古名屋年表

1912年(明治45年)

以前より山梨鰍沢町で宿屋「粉屋」を経営していた伴野かめよにより、甲府市錦町18番地(現在地)に古名屋旅館を創業

1920年代(大正9年)

当時としてはモダンな娯楽施設を作り、ビリヤード台や自動演奏ピアノを設置

1945年(昭和20年)

甲府大空襲により全館消失。焼け野原の市内で温泉を一般市民に開放した。

1956年(昭和31年)

古名屋別館を甲府市白石町に開業(二代目当主 伴野和夫の三男 実による)

1962年(昭和37年)

甲府市内温泉の発掘成功により、源泉を現在の位置に替え、隣地に地下温泉風呂を設置

1962年(昭和37年)

東側棟を建設し、和食調理場を移設、洋食調理部をを設置し、
洋食レストラン「シャスラン」を開業。また洋客室を併設。

1973年(昭和48年)

四代目当主、伴野完により、地上8階地下1階のシティーホテルを完成。
県内初の洋式宴会場「アレキサンドリア」を設置
中華レストラン「蘭園」、会員制スカイラウンジ「ベリエー」が開業

1981年(昭和56年)

和宴会場「鶴の間」を洋宴会場へとリニューアル。スカイラウンジ「ベリエー」も宴会場へと転身。

1987年(昭和62年)

1階ロビーの庭を滝に改装

1988年(昭和63年)

立体駐車場(現第三駐車場)及び事務所棟を建設

1989年(平成元年)

1階の温泉の改装

1993年(平成5年)

1階ロビーと2階のバンケットを改装。「アレキサンドリア」を「芙蓉」と改名 

2000年(平成12年)

4階スペースに「クレーランドチャペル」を新設

2005年(平成17年)

五代目当主、伴野公亮により、小瀬けやき通りにゲストハウスウェデング会場
「オステルリー・ド・コートダジュール」をオープン

2006年(平成18年)

正面立体駐車場を設置し、正面玄関を全面改装

2007年(平成19年)

洋室宴会場「鶴」「芙蓉」「錦」を改装し、「バンヤンツリー」「ルンブラン」「ホアヒン」と改名
4階チャペルも「シャンドラスールヤ」と改名。洋室客室も全面改装。

2008年(平成20年)

1階ロビーの全面改装

2011年(平成23年)

3階に露天風呂付客室を4室新設

2012年(平成24年)

古名屋100周年。
西側駐車場を改装し、「パティスリー和三郎」を開業。

2013年(平成25年)

サドヤワイナリーを古名屋グループの傘下に入れる
ゲストハウスウェデング会場「サドヤ シャトー・ド・プロヴァンス」、
レストラン「レアル・ドール」開業

2014年(平成26年)

スイートルーム2室新設

2016年(平成28年)

2016年・17年・18年 パティスリー和三郎の和三盆クッキーでモンドセレクション金賞を3年連続受賞 

2022年(令和4年)

古名屋110周年
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